慈善観念の違い 渋沢栄一

儒教もしくは仏教の慈善観念は、今日欧米で言うところとは、多少その根本を異にしている。
儒教に『惻隠ノ心ハ仁ノ端ナリ』とあるは、これ衷心仁慈の情が動いて、その身の利害を顧みる暇なく、起ってこれを済(すく)い、これを助くることをいうものにて、救済の本義はすなわちここにある。
同情、いたましく相手のことを思う気持ち。
自分の利害を超えて、行動して相手を救う。
これが儒教・仏教の慈善の観念だという。
「人を助ける」立ち位置は、一人一人違うだろう。
救われる人にも自助努力を求めることも、或る段階からは必要かも知れない。
全てを代わりに行ってしまってはその人を駄目にしてしまう。
その人の可能性も摘んでしまうと思う。
最終的には、「助けられた」のではなく、「助かろうとした」に転化できるのが、 救済する側、される側の双方にとっての幸せなのではないだろうか。
今の日本には、平時では発揮されなかった、深い愛の行動が沢山起きている。
沢山の人が、自分に出来ることを模索し、実行し、幸せになろうとしている!
(東日本大震災直後の日本人の様子について記している)
2011/3/25に記した記事を投稿
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