機会を得る 渋沢栄一

『斉一変セバ魯ニ至ラン。魯一変セバ道ニ至ラン』
【斉の国は変革すれば魯の様な国となり、魯の国が変革すれば道(理想の政治)に至る。】
と孔夫子は言われたが、いかなる国家でも、いかなる人間でも、進歩向上を怠らなければ道理に適う国家ともなり、人間ともなり得られるものである。
機会というは、不思議なもので、これに遭遇すれば、
一足飛びに斉から道に至る例もある。
明治維新のごときは、すなわちそれである。
機会は待つものだが、ただ待っているのではなく、進歩向上を忘れてはいけないというのだ。
現状打破が難しい状態、難局に際したとき、順風を得られぬ時。
人生には幾つもの波があるもの。
その時は、「準備をしなさい」という信号なのかもしれない。
順風を得るには順序がある。
船の作り方、海図の読み方、測量を勉強する。
↓
船大工を集める。
↓
木材を切り出して、部品を加工する。
↓
船を組み立てる
↓
水夫や食糧、資材の準備をする。
↓
海図を元に航海の計画を立て、近海海賊の動向も調査しておく。
↓
順風が吹く船出の日を待つ。
↓
出航
航海という機会を得るために、進歩向上を志し、コツコツと準備していく。
これらを見ていると、人間の生き方や、プロジェクトのサイクルにも通じている気がする。
何をするために、何を学び、何を準備し、誰を集め、どんな情報を仕入れて、いつ行うべきなのか。
私はここまで深く考えて暮らしては居ないが(笑)、
幾つもの事業を成し遂げてきた渋沢翁は、明治にして既にこうした物を成し遂げるサイクルを体得していたのかもしれない。
事業と船出、似てはいないだろうか。
2011/3/15に記した記事を投稿
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