自分の力の使い道 渋沢栄一

人は常に国家のため、はた君主のために、その全力をつくすべきものである。
而(しこう)してその間に余裕があれば、その身その家庭または朋友、
故旧のためにつくすべく、すなわち客観的見地において、一生を過ごす事が本分である。
余は青年の頃より一意これを確信している。
渋沢翁の起業家人生の元にあったのは、
「国家のため、君主のため」につくすことにあったと思える。
若い頃から彼は国家のために苛烈に活動してきて、
歳を召されても、抜群の行動力で国に対して尽くしてきた。
この頃の「国」という概念は、
国に尽くせば自分も家族も隣人も幸せになれるという空気をおびていたのかもしれない。
「国民は国の為に」「国は国民の為に」という相互関係が、
最近では果たして守られているのだろうか…と考えてしまう。
今の私たちが「信じることのできる集合体」を考えると、
一昔前に比べ社会や組織の多様化と反比例している気がする。
他国を信じられない、国を信じられない、会社を信じられない、
家族を信じられない、子供を信じられない。
信を欠いた心境の人が案外多いのではないか。
こういうときには原点に戻ろう。
修身斉家治国平天下。
先ずは我が身を修め、家族を修めていく。
逆のスパイラルで行動していけば、国まで動かせなくとも、
己の周りには信頼できる人々が集まってくるかもしれない。
自分に思いやりを。家族や友人に心遣いを。
自分を整え、家族や友人に寛容を。
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