「孔子教と紳士道」1 渋沢栄一

しかし、君子の意義、紳士の意義は、単にそういう外観的によってのみ定まるものではない。
いなもっと根本的に必要な紳士としての条件は、おのおのの人格に存するのである。
人格高潔にして自らの事業を遂行し得る人、親切心深く、忠実にして社会の信用あり、
己自身の利害得失は打ち捨てて、世のため人のため活動しうるような人、
これこそ本当の紳士である、君子である。
「人格高潔にして自らの事業を遂行し得る人、
親切心深く、忠実にして社会の信用あり、
己自身の利害得失は打ち捨てて、
世のため人のため活動しうるような人、
これこそ本当の紳士である」
この文言に全てが集約されている。
これを読んでいて、言蔵様のブログ「人生を変えたあの言葉 ~忘れられないあの人の名言~」にて紹介された、
「上杉謙信公家訓」の上杉謙信像と重なる部分があり興味深かった。
上杉謙信という人物は、乱世に於ける紳士ではなかったのだろうか。(笑)
「尊敬とは、されるために努力して身につけられるものではなく、
己を磨こうとする内面活動によってのみ、集める事が出来る」と思う。
人はそれを勘違いして、外へ外へ行おうとするから、空回りする。
利他の実践を己に課し、人との約束・己の言動を裏切らない。
これは言葉にすればほんの一行かもしれない。
しかし実践するとなると簡単ではない。私は完遂できる自信が無い。
次回は私が紳士・君子だと思う、母方の祖父について書きたい。
2010/12/10に記した記事を投稿
スポンサーリンク