機前 安岡正篤 安岡正篤一日一言

最終更新日

機前

度会家行の「類聚神祇本源」に「志す所は機前を以て法と為し、
行ずる所は清浄を以て先と為す」と言っておる。

機前とは一日で言うなら、
日が出て鶏が鳴き出す、人間世界のいろいろな営みが始まる、
こういう働きを機というから、その前で、暁であり早朝である。

一年では「神代のことも思はるる」という元旦。

人間で言うなら幼児。地球でいえば混沌、大初である。

夜明けは実に静寂で、光明で、清浄である。

明るく、静けく、清い。

伊勢神道はこれを本領とするもので、
機前を以て心と為し、
諸々の汚れや俗気を斥けて、神氣を嘗め、正直清浄を行ずるのである。

安岡正篤一日一言

人間の世界で、何か行動に移す時は熟慮が必要である。

しかし、神道や自然の世界に於いては、
清らかな状態が物事の始まりである。

清らかと言うのはどういうことであろう。

安岡先生が仰有るには「人間で言うなら幼児。

地球でいえば混沌、大初」ということで、
真っ白の状態というのとは少し違う。

混沌が機前である。と解釈しても良いのかも知れない。

その混沌が、どういう質の混沌であるかが重要なのではないだろうか?

「諸々の汚れや俗気を斥けて、
神氣を嘗め、正直清浄を行ずる混沌」
生み出す素地の練り込みは、
深ければ深い程良いのだが、
その根本に坐る考え方が邪気を帯びてはいないか。

欲に満ちては居ないか。

これをクリアした状態の混沌でなくては、
天意に通じる事業とは言えないのではないだろうか。

「自然=人間の事業」「人間の欲望=人間の事業」
この二つの在り方を決定的に分けるのが、
最初の混沌の善し悪しによって変化してくるのかもしれない。

2010-07-01の記事を再掲載

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