勝縁を結ぶ 安岡正篤 安岡正篤一日一言より

最終更新日

勝縁を結ぶ

平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物、
何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、
できるだけ縁を結んでおくことです。

これを勝縁といい、善縁といいます。

とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、
キョトンとしたり、欠伸をしたり、
そっぽを向いたりしている 人間はだめであります。うつけ者です。

大体そう言う人間なら、諸君は決して事を共にしてはいけない。

そういう人間を共にしてはいけない。

むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、
眼を光らせる人であったら、何か見どころのある人間なのです。

もちろん形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、
凡眼ではなかなか見わけがつきません。

安岡正篤一日一言

自身の心得もそうであるが、
「形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人」を見抜く眼力を養いたいものである。

善い物に出会うには、
お金を掛ければよいと言うわけでもない。

出会うべくして出会う気がするが、
時機があると思う。

人間は様々な思想や付き合いの遍歴を経ていく。

現在考えている事と真逆の考えになる事もある。

仮に他者より批判されたとしても、
どう考えても自分にはこれしかないと思えるくらいの出会いをしたなら、
是非ともその道を進むべきだと私は思う。

周りに活かせない事象でも、
自分には活かせるかもしれないからだ。
他人に決められる問題ではない。
責任を取ってくれる訳ではないし。

 

2010-02-09の記事を再掲載

 

スポンサーリンク

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


コメントする