人物に学ぶ2 安岡正篤 安岡正篤一日一言

最終更新日

人物に学ぶ2

人物の研究というものは抽象的な思想学問だけやっておっては遂げ得られないものです。どうしても具体的に、生きた優れた人物を追求するか、出来るだけそういう偉大なる人物の面目(世間や周囲に対する体面・立場・名誉。また、世間からの評価。)を伝え、魂をこめておる文献に接することであります。
 その点古典というものは歴史の篩(ふるい)にかかっておりますか特に力があります。
 つまり私淑する人物を持ち、愛読書を得なければならぬということが人物学を修める根本的、絶対的条件であります。

安岡正篤一日一言より

>その点古典というものは歴史の篩(ふるい)にかかっておりますか特に力があります。
>つまり私淑する人物を持ち、愛読書を得なければならぬということが人物学を修める根本的、絶対的条件であります。


このブログを立ち上げた理由。
今となると、それは二つあると思います。

一つは私自身の人間学の備忘録と考察の記録と、
人物の新規開拓のモチベーションの為、の私的理由。

二つ目は、このブログを見た方で、
私淑できそうな人物を見つけるきっかけになるのではないかという、淡い期待。

学びとは独り占めする者ではありません。
自分が良いと思ったら、それを共有して良い物だと思っています。

しかし、それを相手へ押しつけたりするのは邪道で、
自分から探ろうとして見つけ出すのが本物だと思うのです。

そう言う意味で、Webに載せると言う事は、
多くの人の目に触れる機会が増えます。
いつでも好きなときに情報を引き出せます。

自分で学問を深める内に、知己や賢人を見つけていくことができ、
リンク集にもそうそうたる顔ぶれが居られます。

どの方にも、一流を感じた物というか精神があり、
それだからリンクさせていただいております。

現在のこのブログの状況をお教えするとすれば、
検索によるお客様よりも、
ブックマークに入れられてリピーターになって下さっている方が多い現状です。
とても有り難い傾向です。

私はこのブログを土台にして名を成そうとか、
くだらないことは考えていません。
というか興味もありません。

ですので、ご覧になった方自身が、
何か一つ掴んで下されば、
それでこのブログの存在価値があるのです。

人間学者は、人間の気質を透徹し、その徳性を成長させ、
更に新たなる徳性や方向性を付与することが、
与えられた使命だと私は考えています。

しかし、それは自分と付き合いのある人物で、
一角の人物でなくては助言は出来ません。
なぜなら、世知辛い現代に於いては、
「おせっかい」「偉そう」「頭がおかしい」「宗教の勧誘」
と勘違いされるのが関の山なのが実情だからです。

「安岡正篤」というブランドを持った私が、
人物鑑定をして、助言を与えるのなら、
助言を役立ててくれる人も居るでしょう。

しかし、「昼行灯」という一個人が同じ事をしても無意味だと分かっているのです。

ちなみに、これも歴史から学びました。
私の私淑する、真田昌幸公が、
息子の信繁公に「徳川を二度撃退した自分が提案して容れられる策略も、
無名のお前では容れられない。
だから、お前にも可能な徳川戦略を授ける。」と死ぬ前に説いたそうです。

そして、私は自分を無名の市井の人として終わりたい。
そこは細井平洲先生から学び共感しました。

そうやって、一人一人の生き方が、
昼行灯という人間を造っていることでも、
安岡先生の仰有る意味合いが分かって頂けると思います。

2009-11-03の記事を再掲載

スポンサーリンク

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


コメントする