情報と文献 安岡正篤 照心語録より

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情報と文献

時局が複雑になるほど、情報は氾濫する。

しかしそれをいくら詳しく集めたところで、
それだけで、時局に対する決定的見識は立たない。

寧(むし)ろ害になることが多い。

大切な事は過去の歴史が訓(おし)える真理・教訓に参ずることだ。

かくして初めて情報も活用することができる。

歴史的文献は単なる記録ではない。

献は賢であって、文章を通ずる人間の事を言う。

だから記録と人物とが揃って真の文献だ。

世人の多くは文を調べて献にまでにまで入らぬが、
現実が複雑・広範になるほど真の文献、
つまり歴史と人物とに深く沈潜することが必要だ。

照心語録より

歴史は人間が作り、そして文献は事件と人間によって彩られる。

そこに血の通った書籍が生まれるのである。

その本質を知るには、
人間の本質を知らなければ、
人間が作った歴史を理解できるはずがない。

ただの書物として読むのではなく、
同時代の人間となったつもりで精読しなくては、
価値は下がってしまう。

血の通った眼力で氾濫するニュースを見極めれば、
世間的には小さなニュースであっても、
時局を揺るがす大きな動きの一部と気がつく見識を持てる様になる。

人が振り返らない情報に、
人間としてとても大切な真理を見出したり。

一番怖いのは、情報を提供する側が知って貰いたい情報=正しい・知るべき、
この勘違いをしてしまうことである。

>大切な事は過去の歴史が訓(おし)える真理・教訓に参ずることだ。かくして初めて情報も活用することができる。

上の様に安岡正篤先生が、
仰有るのは、歴史と人物学は両輪であることにも通じている。

これを究めれば、その場に居らずとも、
事件の概要や因子を想像する事ができるようになるのである。

2009-10-09の記事を再掲載

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