儒教の真骨頂 安岡正篤 照心語録より

最終更新日

儒教の真骨頂

儒教の真骨頂はあくまで現実に徹してゆく点にある。

理想を内にこめ、
その時代・社会・人間に対して高い見識・情熱を抱く点にある。

この見識・信念・情熱なくして、
ともに儒教を論ずることはできない。

照心語録より引用

経営学、科学、医学、
これに解決できない現実的な問題に取り組むのに、
儒教の素養は活きる。

お金の流れ、化学記号、
内蔵の位置やクスリの効果では、
人間の精神に迫った研究はできないし、
社会問題は人間が存在する事で起こるからだ。

安岡先生が、よく口にされる「枝葉末節の学」というのが、
専門的な学問である。

人間学は一度モノに出来れば、
あらゆる問題を持ち込まれても、
解決の糸口を探ることが出来る。

それは、自然・環境・時代の中の人間を研究する為である。

普遍性があるので汎用性も高いのだ。

その目的として、
人間や社会を高次へ導かんとする熱意が心の底に無ければ、
その儒学は偽物だということであろう。
自戒したい。

経営学の役に立つから儒教や人物学を学ぶというのは筋道が逆であり、
その教養は「枝葉末節の学」と変わらなくなってしまう。

しかし、今の世にはそういう考えが跋扈している。

書店に並んでいる書籍を見る度に肩を落とすのだ。

大切なのは、人間通がビジネスをするから成功するのだ。

順番が逆であっては、偽物である。

2009-10-09の記事を再掲載

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