「三学戒」 安岡正篤一日一言より

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三学戒

少くして学べば壮にして為すあり。
壮にして学べば老いて衰えず。
老いて学べば死して朽ちず。
(佐藤一斎 言志晩録)

 若い者の怠けて勉学せぬ者を見る程不快なものはない。

ろくな者にならぬことは言うまでもないが、
まあまあよほどのろくでなしでなければそれ相応の志くらいはあるものである。

 壮年になると、もう学ばぬ、学ぼうとせぬ者が随分多い。

生活に逐われてだんだん志まで失ってしまうのである。

 そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である。

能く学ぶ人は老来ますます妙である。
ただし学は心性の学を肝腎とする。
雑学では駄目である。

 細井平洲も敬重した川越在の郷長老、
奥貫友山の歌に「道を聞く夕に死すも可なりとの言葉にすがる老いの日暮し」と。

安岡正篤一日一言より

 私は安岡正篤先生の影響で、細井平洲を知り、
童門冬二先生の書籍でそのひととなりを知った。

 日本も、仏像ブームが起こるなど、
心の時代の到来を予期させるような現象が起きております。

現代社会で生を全うするには、
安岡先生が枝葉末節の学という、
仕事に必要な知識の方が尊重されます。

それを身にしみて感じて生きています。
人間学を学んでいると言って、
そこに関心を示した経営者や人事担当者はほとんどおりませんでした。

安岡先生、今はそういう時代になってしまいました。

 志を死ぬまで失わぬように生きるために、心性の学を学び続ける。

最後の、続けるというのが大事だと思うのです。

たとえ通勤電車の中でも良いし、
トイレの中でも良い、朝15分早起きして、夜寝る前に枕元で・・・
そういう細かい時間を使って、日々学び続ければ、
自然と徳性が身に付き、行動に顕れ、言葉に顕れ、姿に顕れてくる物です。

 皆さんは、麒麟という道家に出てくる空想上の生物を知っていますでしょうか?

手元にその画像が無いので、説明しづらいですが、
現在のビールの麒麟のような美しい物ではありません。

その説明には、麒麟は、外見的には華やかさや美しさは無いが、
麒麟を麒麟たらしめる物は、
その深い徳性にある。と、書かれています。

 私たちが人間を観るときに、
人間の中に麒麟を麒麟たらしめている物(徳性)を、洞察するためには、
洞察者自身が徳性を持っていなければ見えないのです。

だから、道家の寓話では、小人には麒麟の価値がわからずに、
外見を馬鹿にするだけにとどまると書かれております。

 長くなりましたが、心性、徳性を学ぶためには、
中国古典でも、仏教でも、神道でも、キリスト教でも、イスラム教でも良いと思います。

学んだ上で、日常の言動にそれを偽りなく、
活学出来ているか。ここが大事です。

無宗教でも良いです。
ただ、人間を通して、別に家族でも、周りの人でも良い。
そこから自分を自分たらしめる心性を学び続けているか、いないか。

 ここで、安岡先生の仰有る、
「ろくでなし」かそうでないかが決まってくると思います。

長年続ければ続けられるほど、
其の人は、観る人が観れば解る雰囲気を醸し出すものです。

 だから、私は人と接するときに、
相手の信仰や組織によって観たりしません。

其の人が、「本物であるか」。
此処を観て、付き合うか、付き合うべからざる人間か選んでいます。

何の道でも、本物は違いを輝かせている物です。

2009-09-02の記事を再掲載

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