財産と高い地位 論語より

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老先生の教え。
財産と高い地位とは、人間の求めたがるものである。


しかし、正当な方法(其道)を用いなかった結果であるならば、
たとい得たとしても私はそこにいない。


貧困と低い地位とは、人間の嫌うものである。


しかし、正しい方法を用いなかった結果であるならば、
たといそうなっても私はそこから出ようとはしない。


教養人たる者(君子)は、正当なありかた(仁)をはずれて、
どうして「君子」と名乗れようか。


教養人は、食事中という短い時間においても、
正当なありかたを忘れない。


いや、あわただしいときでもそうだ。
いや、倒れたようなときにおいてもそうなのだ。

論語 増補版 (講談社学術文庫)

現代では結果の出せる方法が正しいとされがちであるが、それだけでは足りない。
それが仁から起きた成果なのかが重要なのである。

同じ800円を得るにも、顧客に背いた商品を作って売ったり、それに加担したりするのと、近所のお年寄りに頼まれて、足の弱くなったお年寄りの代わりに買い物をしてきて、その御礼に800円を頂けた場合では雲泥の差である。

企業の相談役になるにしても、役所勤めでその企業に融通する癒着から天下る相談役よりも、正しい道を進む企業で一所懸命に働いて、定年直前に一年間相談役をやらせてもらえる。
こちらの方が正しい道ではないだろうか。

自分の仕事方法、勤める企業・組織、これらが仁で統一されていなければ無意味なのだ。
極論を言えば、世間で著名であり、沢山の給与を得られて、高い役職を約束してくれる企業へスカウトされたら、それになびかず地道に正しい道を行く。
今いる組織が腐敗して、仕事をする度に人々が悪徳の犠牲になるなら、そこを捨てる。

こうした人生態度は尊いものである。
ただ、家族がいる場合など簡単にはいかないが、その道を志すことは大切だと思う。

2012/4/12に記した記事を投稿

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