人の道が行われている国 そうでない国 論語より 孔子(加地伸行 編)

最終更新日

老先生の教え。
堅く人の道を信じ、学問を好み、たとい死に至ろうと節操を守って人の道を貫き、
乱れようとしてる国には入らず、乱れている国は去る。
世の中が人の道を履んでいるならば、そこで働き、人の道に外れているならば退いて暮らす。
(そういう生き方をせよ。つまり)国に人の道が行われているとき、
(退いて暮らしていて)貧賤であるのは恥である。
(逆に)国に人の道が行われていない危邦・乱邦であるとき、
(無道に乗じて)富貴であるのは恥である。

論語 増補版 (講談社学術文庫)

「堅く人の道を信じ、学問を好み、たとい死に至ろうと節操を守って人の道を貫き」
これを基本に据えた上で、危うい国には近づかず、仮に身を置いても、
貧賤に負けず人の道に合う生き方を貫いて、人の道が行われる国へ逃れる。

孔子の時代でも、国が乱れた場合に個人の力ではどうにもできなかったのだろう。
弱い個人では逃れるほかなかったのだ。

ただ、現代では国を移ることは簡単にはできない。個人は国に縛られている。
国の方針を認めないと「この国が嫌なら出て行け」と言われるのだろうが、
国内に籍がある以上は何かと縛りがあるし、難民となれば、余計に住む場所が制限されるのだ。

ここは投げやりにならず、
「堅く人の道を信じ、学問を好み、たとい死に至ろうと節操を守って人の道を貫き」
この尊い精神を守りながら、時間を掛けて国を整えていく事が、
国に残りながら侍魂で難局を乗り切る事になるのではないだろうか。

「もう先がない」なんていう事は無い。
季節が巡り、天候が変化し、大陸がゆっくり移動しているように、変化しない物は無い。
明るくなれば暗くなり、暗くなれば明るくなる。
その変化をどのように捉え、それを適応(順応)させていくかが、
安寧な時・乱れた時、両方に必要なのではないだろうか。

2011/6/2に記した記事を投稿

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