位無きを患えず 孔子 論語より

子曰く、位(くらい)無きを患(うれ)えず。立つ所以(ゆえん)を患う。
己を知る莫(な)きを患えず。知る可(べ)きを為さんことを求む。
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老先生の考え。己の活躍する地位がないといって嘆かない。
己が世に出るだけの理由〔や資格の有無〕を反省する。
己〔の力量や才識〕を知る人がいないといって嘆かない。
〔逆に、あの人は優れた人物であると〕こちらが知るべきことをなすようでありたい。
論語 増補版 (講談社学術文庫)己を反省し、他個の才能を認める。
これは、最終的には自分の為になる。
嘆く事もなく努力を続け、自己修養を続ける人は、日々眼には見えなくても成長を続ける。
他者の才能を認める事が出来る者は、他者の才能を自分の物にすることもできる。
世時に於いて言える事は、「全てを独占してはいけない」という事である。
「他の者の分も残しておく」ことで、世の中はうまく回る。
成功を独り占めにせず、他の人々と分かち合えば、次はさらに大きな実績を上げる事もできる。
逆をすれば、いつまでも小さな実績にとどまり、自己の才能も世の為に開花した事にはならない。
簡単に言えば、自分の得意な事を伸ばして、他の人の得意な事に協力して貰う事だ。
自分より優れた人ばかりだと腹をくくってしまい、周りの小さな失敗をほくそ笑む様な、
不浄な感情を捨て去る事である。これを捨てなければ、自分しか見ていない事になる。
強者におべっかを使い、弱者をバカにするのが、他者に感心がある事にはならない。
それ位であれば、むしろ自分だけの世界に生きている方が、余程世の中に害毒を垂れ流さずに済む。
「自信」「プライド」という言葉は、その様な傲慢な意味で作られたのではない。
そして、成功する事ばかりが、必ずしも世の為になるとは限らない事も注意が要る。
大局を観て、己の小さな役割を、この世に生きる人々の為に大きく活かす為に、他者と手を取り合うのである。
争いや、足下の敵という考え方は何も産まぬ、くだらない考えだ。
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